謎の大王・継体天皇の擁立を推進したのは誰か
新説! 謎の大王「継体天皇」と王位継承の謎 第5回
これらからすると、継体を擁立した勢力の主体はおおよそ「葛城氏とその同族を除いた非葛城連合」であったと推定される。さらに近年の研究成果からすれば、これに加えて九州有明海沿岸地方の勢力、半島に進出しそこで功績を挙げて帰国した首長や、秦氏に代表される渡来人勢力も挙げておきたい。
継体と有明海沿岸地方の勢力の関係を表すのが、阿蘇ピンク石といわれる馬門石である。熊本県宇土市産のこの特徴ある石材が、ちょうど継体朝ころから、畿内の和邇氏・物部氏・大伴氏といった継体支持勢力の古墳に分布するのである。対照的に、大和盆地西部の葛城一帯にはこの石材は発見されていない。当時、積極的に渡海し、大陸と交流を重ねていた有明海沿岸の勢力は、ある時期までは継体と結びつきをもっていたのである。
なかでも、近年発掘が進んでいる真の継体天皇陵といわれる今城塚古墳から、阿蘇ピンク石が発見されたのは大きい。ここからは、葛城二上山の白石、兵庫県西部の竜山石、阿蘇のピンク石と、3種類の石棺の破片が発掘された。このうちのどれかが継体天皇自身を納めた棺なのだ。周知のように、のちにこの有明海沿岸地域の豪族、筑紫君磐井が大和政権と戦うことになる(磐井の乱)。今城塚古墳から阿蘇の石が発見されている事実は、一見これと矛盾するようにもみえる。謎は尽きない。
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